極真会館中村道場が極真会館を脱退 国際空手道連盟 極真会館 中村道場







とある人から、極真会館中村道場が極真会館を脱退ということを聞いたので、びっくりして記事にしてみました(^^)/

僕は、空手のかの字もしらず、たまたま今の道場に入って、少しづつ空手のことを知っていくつもりなので、一つの勉強として・・・

極真会館について

【総帥】 大山倍達

大山倍達

生い立ち

父・崔承玄(チェ・スンヒョン)と母・金芙蓉(キム・ブヨン)との間に、6男 1女の第4子として朝鮮全羅北道金堤市で生まれた。

日本が朝鮮半島の領土を手放し、1948年に大韓民国が建国された後 日本国籍から韓国籍となる。

1964年(昭和39年)日本国籍を取得し帰化

空手について

1938年(昭和13年)9月に空手道を松濤館流の船越義珍に師事、その後松濤館流と剛柔流を主に学ぶ

1947年(昭和22年)に京都で開催された戦後初の空手道選手権で優勝

極真会館設立

多くの武道家と交流し、また世界各国を巡りさまざまな格闘技を研究、空手の指導を行い、直接打撃制の空手(極真空手-フルコンタクト空手)を作り出した。
目白の自宅の野天道場、池袋のバレエスタジオ跡の大山道場を経て、1964年(昭和39年)国際空手道連盟極真会館を設立

死去

1994年(平成6年)4月26日午前8時、肺癌による呼吸不全のため東京都中央区の聖路加国際病院で死去。70歳没。

参照 Wiki大山倍達

極真会館分裂




1994年

大山逝去の翌々日、極真会館の審議(評議)委員長であった梅田嘉明が「大山総裁は遺言で松井章圭を次期後継者に指名された」と発表。
新体制による運営が始まったが、6月に入り、遺族が記者会見を行い「遺言に疑問があるので法的手段にでる」と発表し、本葬時にも抗議活動を行った。

国内の支部長では9月迄に計5人が、新体制に異を唱えて離れた

1995年

2月に5人の支部長が大山智弥子未亡人を館長とし、結集(遺族派)。
4月に新体制が松井派と、35人の支部長がいる支部長協議会派に分裂。

この国内の分裂は海外にも波及し、世界各地で支部の取り合い、選手の引き抜きも行われ、分裂が生じた。

松井派は中村誠ら12人にまで減ったが、半年後には9人が支部長協議会派から復帰した。

8月には智弥子館長を頭とし支部長協議会派と遺族派が合流(大山派)。

同年から各種大会が松井派と大山派に分裂して開催されるようになった。 

1996年以降

松井派と大山派は、それぞれの機関誌である『ワールド空手』と『極真魂』誌上で数年間、双方の正当性を主張しあっていた。

1997年3月17日に遺言書の有効性を否定する判決が最高裁で確定した。

その間に大山派は、協議会派と遺族派に再分裂。

遺族派は松島派、手塚グループ、極真会館 宗家に分かれる。

一方、松井は自派を株式会社化し、正式名称を株式会社国際空手道連盟極真会館と刷新したが、こちらもさらなる分裂が続いている。

2002年に極真奨学会の梅田が松井と関係を絶つと、同年11月に盧山や地区本部長を務めていた廣重毅・湖山彰夫らも去り、彼らは極真館を興し、梅田と一緒に休眠していた極真奨学会を復活させた。

2005年には水口敏夫・河西泰宏らが、2006年には浜井識安が松井派から離れ、極真奨学会の協力団体になった。

2008年、木村靖彦が全日本極真連合会へ移り、2010年8月には国際委員会委員で欧州地区担当のルック・ホランダーが、傘下の支部と共に松井派から離脱した。

この期間に黒澤浩樹・小笠原和彦・八巻建志・数見肇が独立し、自派を発足している。選手ではニコラス・ペタス、野地竜太が離脱した。

参照 Wiki極真会館

極真会館中村道場について







【師範】中村誠

中村誠
身長183cm、体重120kg。段位は七段。
世界大会2連覇(第2回・第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会)を達成した事から “ KING OF KYOKUSHIN ” の異名をとっている。

大山倍達との関係

中村誠は高校卒業後、上京して食品工場に就職。
その後、劇画「空手バカ一代」で大山倍達の存在を知り、興味を抱く。
極真会館への入門も続くか続かないかは別にして、大山に会いたい一心で空手を続けていた。

カラダが大きいのは極真カラテは続かない”という風潮があった当時
大山倍達に初対面で『まあ、頑張りなさい。でも、キミは続かないよ』と言われる。

1977年(昭和52年)4月に中村は、ハワイで「日本代表極真会館チームvsハワイ代表チーム」がフルコンタクト空手の対抗戦に参戦。

中村はこの場で対戦相手をパンチで2メートルほど飛ばした。

大山倍達はこの戦いぶりに大いに機嫌を良くして、帰国後周囲に「中村がパンチで相手を5メートル吹っ飛ばした」と語っていた。

選手権大会出場

1977年(昭和52年)秋に開催された第9回オープントーナメント全日本空手道選手権大会に初出場し、3位入賞を果たした。

1978年(昭和53年)第10回全日本選手権でも3位入賞をした。

しかし、大山倍達は中村に期待していたぶん、3位に不満があった。

大山倍達は何かが足りないと思い、中村を、当時最高師範だったアメリカ在住の大山茂のもとへ武者修行に出した。

1度目の全世界選手権制覇

1979年(昭和54年)帰国後、5月に開催された第11回全日本選手権において、準々決勝で川畑幸一(同大会第7位)、準決勝で東孝(同大会第3位)、決勝で三瓶啓二を破り、念願の初優勝を果たす。

同年秋に開催される第2回オープントーナメント全世界空手道選手権大会への日本代表権を勝ち取った。

秋に全世界選手権が開催され、中村は、3回戦のハンス・ドルフ・ラングレンに苦戦した以外は順調に勝ち進み、準々決勝で川畑(同大会第8位)、準決勝で東(同大会第4位)、決勝で三瓶を破り、世界王者となった。

兵庫支部開設

1981年(昭和56年)中村は大山倍達より兵庫県支部長の認可を受け、本部道場を離れる。

芦屋市にある仏教会館に支部発足最初の道場を設立後、支部発足2年後には常設道場を尼崎市に開設。

全世界選手権を連覇

中村は選手権大会から退く事を宣言し、兵庫支部の運営に専念しだす。

1983年(昭和58年)の第15回全日本選手権にも出場せず、周囲は完全に引退したと思っていたが大山倍達の命により、1984年(昭和59年)の第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会に推薦で出場する。

大会初日、2日目は順調に勝ち上がり、向かえた最終日の4回戦でマイケル・トンプソンと対戦。

延長2回で一旦は中村に優勢勝ちと判定が下ったが、最高審判長である大山倍達は「明確な決着がつくまで試合を続行する」事をアナウンス。

結局合計5回の延長戦にまでもつれ込み、技ありを奪って辛勝した。

その後は順調に勝ち進み、決勝では「三誠時代」という一時代を築いた宿敵・三瓶と対戦。

延長1回5対0で三瓶を下し、前人未到の全世界選手権連覇を成し遂げ、再び世界チャンピオンとなった。

阪神淡路大震災と分裂騒動

1995年(平成7年)1月17日に阪神・淡路大震災を被っていた中村は、自分の事は後回しにし、近隣の住人の救出活動に専念。

この頃、極真会館は分裂騒動の前兆が出ていた頃で支部長会議に出席するよう何度も督促が来ていたが、数人の弟子を失った中村は現地での対応を優先し、会議には参加しなかった。

その後も復旧作業や支援を優先していたため、4月に勃発した松井館長を信任できないとする分裂騒動に巻き込まれることはなかった。

中村は大山を見舞った時、直接「不満はあるだろうが、松井章圭を中心に第2次新会館建設委員会を発足する。応援してやってくれ」と言われていたので、大山が松井を後継者にしたと判断し、そのまま松井章圭を館長とする極真会館に残った。

参照 Wiki 中村誠

極真会館松井派







1994年4月、極真空手の創始者・大山倍達亡き後、分裂した極真諸派の中で、在日同胞を中心に組織され、在日コリアンを支援する国内外の僑胞たちによって構成された極真派閥の一つ。

松井章圭

松井章圭
元空手道選手であり、実業家。一般財団法人国際空手道連盟極真会館の館長。
極真空手八段。

在日韓国人で、本名は文章圭(문장규、ムン・ジャンギュ)。
東京都文京区生まれ、千葉県育ち。
京北高等学校を経て中央大学商学部卒業。

来歴

1986年(昭和61年)

5月、百人組手を達成。

1987年(昭和62年)

11月6日から8日にかけて開催された第4回オープントーナメント全世界空手道選手権大会の決勝でスイスのアンディ・フグをくだし、外国人初の優勝。
※極真会館(松井派)は外国人初の王座を1999年(平成11年)の第7回オープントーナメント全世界空手道選手権大会で優勝したフランシスコ・フィリォとしている。

【理由】
松井が日本代表選手団の主将を務めていたことや、総裁である大山倍達の出自をあえて触れないマスメディアの暗黙の了解もあり、松井についても在日韓国人として取り上られなかった。

当時の心境を自著『一撃の拳』では「オープントーナメント全世界空手道選手権大会には大韓民国の代表として出場したかったが、大山総裁は認めてくれなかった」と語っている。

現役選手を引退後、許永中と許の紹介で画商の福本邦雄の下で、表と裏のビジネスを学ぶ。その後空手界に復帰し、浅草に本部直轄浅草道場を開く。

1994年(平成6年)

4月26日に大山が肺癌で死去。
大山の“危急時遺言”によって、松井が後継者に指名。

大山の遺族は遺言に疑義を抱き、遺言状の有効性について訴えを起こし、東京地裁にて「遺言状は無効」との判決を得た。

この騒動をきっかけに極真会館は分裂を始め、「極真カラテ」を標榜する団体が乱立する事態となった。

松井は、文章圭本人名義で商標登録し、「株式会社国際空手道連盟極真会館」を設立した。
しかし、この商標登録は分裂した他の極真諸派と裁判で争われた結果、2009-2010年に大山家の商標登録になった。

2005年(平成17年)

10月、恵比寿に“Ichigeki PLAZA”〈一撃プラザ〉を開く。

なお、2005年より、約10年間営業していた「一撃PLAZA」の営業を終了。
2015年(平成27年)8月、新たに「フラックス コンディショニングス」を代官山にリニューアルオープン

2011年(平成23年)

11月10日、日本経済新聞が「人材派遣大手の旧グッドウィル・グループ(GWG)による会社買収に絡み、空手団体の「国際空手道連盟極真会館」(東京)の松井章圭館長が東京国税局から買収の成功報酬の申告区分の誤りを指摘され、過少申告加算税を含め約30億円を追徴課税されていたことが、分かった」と報道

2015年(平成27年)

4月16日、東京・江東区の日本空手道会館において、(公財)全日本空手道連盟(以下全空連)と(一財)国際空手道連盟極真会館の間で、2020年東京オリンピックにおける空手道種目の正式採用に向けて覚書を取り交わし、友好団体結成の手続きを終えた。

これからは極真会館の全日本大会等は全空連の名前が後援に入ることが発表された。

また、極真会館の中からオリンピック出場を目指す、あるいは全空連ルールの試合に出場を希望する選手などに対しては、全空連から指導者を派遣してもらいセミナーを開催するなど、選手をバックアップしていくことも松井館長から発表。

同年9月25日、極真会館は、フルコンタクト空手6団体と友好関係を結び、全日本空手道連盟が進める空手の東京オリンピックでの公式競技化活動を支持することを表明。

2016年(平成28年)

1月15日、誕生日にあたり。と題し、自らの誕生日に名前の一文字「圭」の字の上に大山総裁の「大」の文字をいただき「奎」とし、「松井章奎(まついしょうけい)」と改名

参照 WIKI 松井章圭

松井章圭 裏の顔





許永中と許の紹介で画商の福本邦雄の下で、表と裏のビジネスを学ぶ

<松井は90年代にはイトマン事件などで暗躍した希代の詐欺師、許永中のボディーガードや、許永中が乗っ取ったKBS京都の専務になった画商、福本邦雄(故竹下登首相の側近)の周辺にいた。だから許の人脈なども引き継ぎ、経済界や政界にも顔が利く。その人脈の一人が折口なのである。>
(『FACTA 2009年7月号 』より)

許永中

「日本財界のフィクサー」といわれた在日韓国人。

日本では、戦後最大の経済事件と称されるイトマン事件で逮捕・起訴され、実刑判決を受けている。
通名 野村永中(のむら えいちゅう)あるいは藤田永中。

松井章圭と深い関係にあり、大山倍達死後に極真会館松井派の大会のスポンサーになったこともある。

多くの政治家や暴力団、大企業と関係を持っていたとされており、株買い占めや会社乗っ取りなど大型経済事件が起こるたびに背後にその存在が取り沙汰されてきた。

イトマン事件

総合商社・伊藤萬株式会社をめぐって発生した、商法上の特別背任事件

伊藤萬は、1883年(明治16年)に創業され一族経営で繊維商社をメインとした会社
住友銀行(現:三井住友銀行)の役員だった河村良彦を社長として起用し、繊維商社から総合商社への方向転換

1990年5月の日本経済新聞の報道で、伊藤萬の不動産投資による借入金が1兆2000億円に及んだことが明らかになったことがきっかけ。

伊藤萬は許永中の絡む三つの会社から、許永中の所有していた絵画・骨董品などを総額676億円で買い受け。

そのほか、伊藤や許は、伊藤萬に対して、地上げ屋の経営や、建設の具体性の見えないゴルフ場開発へ多額の資金を投入。

その結果、伊藤萬本体から360億円、全体では3000億円以上の資金が、住友銀行から伊藤萬を介して暴力団関係者など闇社会に消えていった。

1991年元日
朝日新聞が「西武百貨店→関西新聞→イトマン 転売で二十五億円高騰」「絵画取引十二点の実態判明、差額はどこへ流れた?」との大見出しで、絵画取引の不正疑惑をスクープした。

1991年7月23日
大阪地方検察庁特別捜査部は特別背任の疑いで上記伊藤・許・河村を含む6人の被疑者を逮捕し、その後起訴した。

2005年10月7日
最高裁の上告棄却決定により、許について懲役7年6月・罰金5億円、伊藤について懲役10年、河村について懲役7年の刑がそれぞれ確定した。
しかし、これらの巨額資金の行方は今もって謎に包まれている。

許永中 現在

上記イトマン事件により地裁で懲役7年6か月・罰金5億円の実刑判決を言い渡されたが、その後控訴、上告。

2005年10月に最高裁で上告棄却決定がされて実刑判決が確定。

また、石橋産業から合計約179億円の約束手形をだまし取ったとされる詐欺事件(石橋産業事件)で懲役6年の実刑判決を言い渡され、上告していたが、平成20年(2008年)2月12日に上告棄却決定がされ、こちらの刑期が加算された。

2012年12月、母国韓国での服役を希望し、国際条約に基づき移送されていることが判明。

これにより日本における特別永住者の立場を喪失した。

刑期満了日は2014年9月だが、その1年前の2013年9月30日にソウル南部矯導所より仮釈放された。

福本邦雄

日本の実業家、画商、政治活動家。元日本共産党員。
戦前の日本共産党指導者・福本和夫の長男。政界最後のフィクサーとも呼ばれ、政財界の深部に入りこんで暗躍

2000年 中尾栄一元建設大臣が収賄容疑で逮捕された若築建設事件の共犯者として逮捕される(処分保留、起訴猶予で釈放)。
2010年 11月1日、敗血症のため死去

まとめ







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中村道場ホームページトップにあるように、松井章圭と組織の方向性及び空手観の違いから

というのが気になります。

極真空手の真髄を「正しく」というのも気になるところです。

空手の世界もややこしいのですね・・・

本心を言ってしまうと僕自身は、正直あまり興味がないところです(-。-)y-゜゜゜
稽古を一生懸命できて、いい汗がながせればそれでいいです(*^^)v

というか、めっちゃ個人的な意見ですが、もっとみんなで仲良くしてほしいなぁと思います・・・

なんか一つにまとまって、みんなで頑張ってほしいと願うばかりです・・・

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