黒澤浩樹







空手のかの字も知らず、空手を始めた僕なので、あまり知らないことを記事にするのはどうかと思いましたが、勉強の一環として記事に致します。

黒澤浩樹の伝説

全日本選手権大会

第16回全日本選手権

全日本選手権大会での優勝はデビュー戦の1回のみ。

1984年11月3日 第16回全日本選手権に出場。

1回戦から並み居る極真の名選手たちを打ち破り「とんでもない奴があらわれた」と話題に。

下段蹴りで巨漢選手を戦闘不能に追い込み、

準決勝
鬼の木元正資(現在:新極真会 理事)を一本勝ちで下す。

決勝戦
総本部(池袋)の内弟子で大山倍達が次期王者と期待する竹山晴友(体調不良などにより、事実上活動を停止)

延長の末、黒澤は圧倒的な判定で勝利し、初出場にして初優勝


極真空手第16回全日本大会決勝戦 黒澤浩樹vs竹山晴友

しかし、極真空手の総本部ではなく城西支部の所属であり、全国的に無名だった黒澤の活躍に、大山倍達は眉を顰めた。

第17回全日本選手権

翌年の第17回全日本選手権

決勝
黒澤の前に立ちふさがったのは「大山の息子」と言われた松井章圭

延長戦にもつれると、黒澤の下段蹴りで松井の大腿が持たないと大山は踏み、彼の意向によって旗は松井に揚がる。

 本来であれば、この決勝戦はなかったものである。

というのも、4回戦の時点で松井を勝たせたい大山は突然「審判団総入替え」を命じ、暗黙で自分の心を忖度出来る支部長たちを新たに揃え、ルール無視の再延長で松井を勝者にした。

当然、決勝の黒澤戦を見据えた対策以外の何ものでもない。

 自分に忠実な“新世代”を勝たせたい大山にとって、黒澤の存在は邪魔ということである。

その後の大会でも「態度が悪い」と大山の目に映っただけで反則負けを取られそうになるなど、ほとんど言いがかりのような仕打ちを受け、大山の包囲網がひとつひとつ黒澤の空手から手足を奪っていった。

黒澤は初出場以降、全日本選手権では優勝できなかった。

『新潮45』6月号 引用


極真空手第17回全日本大会決勝戦 松井章圭vs黒澤浩樹

大山倍達との確執

大山倍達の逆鱗に触れた
「一介の支部所属」の初めて名前を聞く選手が優勝したことに、大山倍達はとてつもない不快感を抱いたという。黒澤が所属していた極真会館城西支部は俗に「極真城西」「チャンピオン製造工場」として門下生たちの団結力の強さ、選手層の圧倒的厚さで知られており、中でも黒澤は抜きん出た存在だったが、まだ大山倍達の耳に届くほどではなかった。

 生前の大山倍達は私にこう語った。

「ベテラン勢も全盛期を過ぎて、後は竹山と松井章圭(現・極真会館館長)が極真の屋台骨を背負ってくれればね、前途洋々だと思っていたよ。彼らは美しい空手、華麗なる空手の実践者だからね。これからの極真は華麗でなければならないよ。なのに昔に戻ったようなパワーだけの黒澤が優勝するんだからね。それも本部じゃない選手だから、嫌だったよ。極真空手はここ、池袋の総本部がその威信を担ってきたのだからね。それなのに、あんな無愛想な坊主に人気が出るなんて思わなかった。黒澤くらいだよ、私と会っても眼を逸らさないのは」

 後年、私は拙著『黒澤浩樹 最後の超人伝説』を大山に進呈するため総本部を訪れた。受け取るときの愛想は良かったが、私が帰った後、大山は本を「こんなもん!」と言いながらゴミ箱に投げ捨てたという。後に智弥子夫人から聞き、今や笑い話になった実話である。

『新潮45』6月号 引用

組手スタイル

段回し蹴りを武器に一心不乱に攻め続ける

手の骨が折れて皮膚の外に露出してしまってもまるで意に介さないかのように戦い続ける。

その姿からニホンオオカミ格闘マシーンの異名をもつ


第25回全日本2回戦 下段廻し蹴り1本 黒澤浩樹

相手の脚を下段回し蹴りで折ってしまい、16万円の慰謝料を取られた事がある。

その後、黒澤が試合で下段回し蹴りを出すと、道場の仲間達が「16万!」と叫んで彼をからかった。

黒澤浩樹 概要







人物

裕福な家庭に育ち、少年期はバイオリンを習う。

中学時代、極真会館総本部に入門。

その後座間中村道場(師範中村辰夫)に移籍。

先輩である小笠原和彦の紹介で山田雅稔が管轄する東京都下城西支部へ再度移籍。

この頃から首都圏交流試合を皮切りに全日本、全世界選手権で活躍し始める。

その合間に城西支部の傘下で中野区に道場を開く。極真会館の選手権大会から退いてからは、プロの格闘家としても活躍する。

分裂以降は極真会館松井派に属し、同派支部長に昇格するが、松井章圭と対立し、独立。実戦空手黒澤道場(現:聖心館空手道)を起こした。

来歴

オープントーナメント全日本空手道選手権大会

  • 1984年(昭和59年)11月に初出場初優勝
  • 1985年(昭和60年)準優勝
  • 1993年(平成5年)6位

オープントーナメント全世界空手道選手権大会

  • 1987年(昭和62年)6位
  • 1991年(平成3年)3位
  • 1995年(平成7年)6位

オープントーナメント全日本ウェイト制空手道選手権大会

  • 1987年(昭和62年)準優勝
  • 1993年(平成5年)3位
  • 1995年(平成7年)3位

全日本ウェイト制選手権

  • 1991年(平成3年)6月 試合中に薬指の開放骨折をしていたが、ドクターストップされるまで戦い続けた。。

1997年(平成9年)10月11日に開催された格闘技イベントPRIDE.1に参戦

身長203センチメートル、体重130キログラムのイゴール・メインダートと対戦。

基本的には総合ルールだが、顔面パンチ無し、ロープブレイク有りと言うルールであった。

1Rに投げ技をこらえようとした黒澤は右膝十字靱帯断裂を負う。

そのまま試合を継続し、3RにTKO負け

1998年(平成10年)に黒澤道場を設立

2000年(平成12年)にK-1へ参戦

2011年(平成23年)黒澤道場を「聖心館(聖心館空手道)」に改称

現役引退後

第二、第三の黒澤浩樹を生み出すべく、後進の指導に当たっていた。
2016年に膝の手術を受けてリハビリテーション中であったが、2017年3月25日に急性心不全により逝去。54歳。

黒澤浩樹 リンク関係







聖心館

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極真会館 松井派

新極真会館

公益社団法人 全日本フルコンタクト空手道連盟 JFKO

黒澤浩樹 DVD & 著書等

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